マイストーリー

nagayama

こんにちは、ワーキングマザーのための受験アドバイザー・喜連川綾乃と申します。東京の金融機関で働くシングルマザーです。まずは、背景となる私の「教育原体験」からお話しします

私の教育原体験

生い立ち

私は三重県の鈴鹿山脈のふもとの町で生まれ育ちました。幼い頃は野山を駆け巡る野生児でした。両親はたたき上げの自営業者で、高学歴ではありません。小学校までは親から「勉強しろ」と言われたことはありませんでした。

明治時代に私の父の叔父が旧制第一高等学校から東京帝国大学に進学したそうです。当時稀有だった神童に教育を授けるために、全財産をかけた上に借金しなければならず、父の教育にはお金が回ってこなかったと聞かされました。

父には教育コンプレックスがあったのだと思います。親の過大な愛情や教育への過信、家庭の苦しい経済状態が重なって、私への教育方針はカラ回りし、その結果、私の進路に影を落としました。

行き当たりばったりの私立中学進学で苦悩

たいして勉強もしないままに小学校生活を送った6年生の時、突然、親の思いつきで私立中学を受験することになりました。しかも、通常であれば不合格であったところ、特例措置による合格者増枠により、合格してしまいました。

その学校は地元で数少ない私立中学で、生徒は開業医や企業オーナーの子女ばかりでした。中学1年生の子どもが親の経済力や地位を詮索し、馬鹿にする、いじめるという環境であり、私が通うべき学校ではなかったのです。肩身が狭くなじめず、学校生活は苦痛以外の何物でもありませんでした。

さらに第一次石油ショックで家の商売が傾き、家計は一気に苦境に陥って、ますます学校で堪えがたく暗い日々を送りました。最終的には、中学校から始まった英語が救いになって、成績が上昇し、第一志望の地元の名門県立高校に進学できました。

自分に合わない大学受験で迷走

県立高校の同級生は周囲の公立中学のトップクラスから来たため、学力も高く、質実剛健な気風の生徒たちで、目を見張りました。ただ、子ども心に、地元では公立の県立高校でさえも、親の教育レベルや経済力が高い環境であることを察しました。やたらにお金をかけて受験勉強する環境でもなかったのに、家庭環境と子供の学力の間には関係があったのです。

大学受験の時期を迎え、家計の苦しさから国公立大学受験にチャレンジ。ところが、ろくに中学受験の勉強もせず小学校時代から積み残しとなっていた苦手な数学が足を引っ張り、当時の共通一次試験で惨敗という結果に終わりました。

たまたま受験した東京六大学のうちのひとつに合格していたため、最終的には親が借金までして進学するという騒ぎになりました。当時、女子が地方から東京の私立大学に進むというのは、本当に大変なことだったのです。もっと早い段階で受験方針を決めればよかったと悔やまれました。

「学校とはこうだったのか」大学での新鮮な驚き

入学した大学は立教大学文学部の英米文学科(現在の文学部文学科英米文学専修)です。いざ入ってみたら、自分が必死に受験勉強をしたのはいったい何だったのかと思えるような場所でした。

英米文学科は女子ばかり。ほとんどの学生は付属高校からのエスカレーター入学者や、提携校の女子高などで先生の覚えめでたい推薦組でした。彼女たちは公立高校受験組とは明らかに空気感が異なります。名門の東京女学館出身の女子たちは、同級生ながらまぶしくてたまらなかったですね。

中高一貫校出身者は高校受験で揉まれておらず、学校生活を謳歌してきています。例えば、趣味のレベル感も違いました。一眼レフカメラやゴルフ、油絵、映画などなど……。それに輪をかけて、付属の男子校の立教高校出身者は「あの高校は楽しかったよな」と思い出を語り、中高で自分の個性が確立されたと言っていました。学校というのは本来そういう世界なのかと驚きました。

自分の息子を含め、私立中高一貫校出身者を見ると、思春期に6年間を過ごす場所の影響は良くも悪くも大きいと痛感しています。特に友達の個性や学力、生活環境の与える影響は大きく、その後の人生の選択に大きな影響を与えると考えます。

就職後、交換留学に挑戦しなかったことを後悔

大学時代を振り返って後悔しているのは、交換留学を体験せずに終わったことです。考えてみれば、家庭の経済状態は厳しくとも、大学に交換留学制度があったので、それを使えば追加の授業料なしで留学することも可能だったのだろうと思います。当時の私にはその発想がありませんでした。英語が何となく得意で、何となく英米文学科へ入り、何となく良い成績で過ごしてしまいました。

「たら・れば」の話になってしまいますが、もし当時私にも後押ししてくれる人が存在したら、最初の一歩を踏み出せていたかもしれません。大学生くらいまでの年齢はしょせん子どもです。周囲からストレッチさせることも大切だと思っています。

大学を卒業すると、学生時代と同様に何となく、英語を使う会社に就職しました。業務では英語を扱ったもの、当時の私の英語力はせいぜい英検準1級程度だったと思います。

働いてお金を貯めて自分で海外へ留学したいと、漠然と憧れ始めました。

しかし、これは語学の習得上、正しい選択ではありません。語学を身に着けるには、早期開始が鉄則です。帰国子女でもない限り、小学校で始めるか、中学校で始めるか、高校で始めるかで、その後の英語の流暢さは全く異なります。

グローバルに活躍するためにはティーンエイジャーのうちに、そして遅くとも高校時代までに、最低1年程度、海外へ留学することが必要なのです。

英語でキャリアアップ

その後、自分でTOEFLやTOEICの勉強をして何とかビジネスで英語を使えるレベルになり、外資系企業のマネージャーになりました。外資系企業の場合、英語力は必須ですが、マネージャーになる際に英語力を条件とすると、対象者が3分の1へと絞られます。英語でプレゼンテーションができる層となるとさらに限られます。

逆に言えば、英語力を身に着けることで、基本的な競争力も身に着けることができるわけです。ビジネスで当意即妙に受け答えできるクラスへとキャリアアップするためには、やはり留学経験があることが望ましいと思います。

ひとり息子の第一志望校合格(開成中学からアイビーリーグ入学)への原動力

息子の第一志望校合格は、私が失敗から学んだことを実践

私の息子は、開成中学・開成高校を経てアメリカのアイビーリーグに進学しました。高校時代には、アメリカのボーディングスクールにも留学しています。

息子の受験結果の特徴は、すべて第一志望校に合格していることです。

振り返ってみると、自分の親や私の失敗体験から学んだことを、ただひたすらに私から受験支援として実行したのだと気づきました。自分自身の失敗体験の裏返しが、息子の第一志望校合格のポイントだったのです。

第一志望校合格のポイント
  1. 学校は注意して選ぶこと
  2. 苦手科目を意識して克服すること
  3. 受験方針は早期に明確化し、ブレさせないこと
  4. 遅くとも高校で留学を体験すること 

「夢をかなえてあげたい」「好きなことをやって生きてほしい」という母親としての想い

「なぜ勉強するのか、なぜ受験するのか」ということについて、我が家では「将来、自分の好きなこと・やりたいことをやって生きていける実力を身につけるため」と定義しています。

「自分の好きなことをやって生きていく」ことは、すなわち「リスクテイクする」ということです。そのためには、リスクテイクに見合う知的能力・基礎体力が必要です。また、留学で高い英語力を身に着ければ、自分の能力を差別化・グローバル化できると考えていました。

それでも、受験勉強で根を詰めてばかりでは、自分だけでなく子どもにもストレスが溜まります。中学受験の頃には夜寝る前に「ママがついてるよ」と声をかけました。高校生くらいになると独立心が芽生えるので、疲れていそうな時には「正しい方向に向かってるよ、将来はきっと開けるよ」と前向きに励ましました。

第一志望校をどこにするかについては親子で一致しない場合もあります。あまり熱意が湧かない場合もあるでしょう。

我が家の中学受験の場合は、息子が開成中学を受験することに対し、私には自信も現実感もありませんでした。最終的に本人の決断で開成中学を第一志望校にしたのは、小学6年生の10月でした。本人が真剣になったのを見ると、「何とか子供の夢をかなえてあげたい」と思い、また、不合格への恐怖にさいなまれました。

楽勝で合格できるわけではない場合、合格・不合格は1点差の勝負になります。子どもの苦手としている分野を潰さなければ、合格がイチかバチかの賭けとなってしまいます。そんな賭けの状態で子どもを受験へと送り出すことは、恐ろしくてできませんでした。我慢して苦手分野を克服することは、いわば「汚れものに手を突っ込んで片づける」というような作業です。子ども一人では到底できません。

母親がしっかりと支援することで、第一志望校合格の確率を高められるのです。

「ワーキングマザーのための受験アドバイザー」を始めた理由

・教育・留学で子どもの人生を切り開くことをサポートしたい

私は子どもの頃から、教育を受けることで家庭の経済的苦境から抜け出したいと潜在的に考えていました。教育や留学が子どもに与える影響は大きいですし、外部から与えられるほんの少しのきっかけが、子どもの飛躍につながります。

ワーキングマザーの方々に対して、一人一人の子どもにふさわしい教育や海外留学を体験するサポートができれば、その子たちが人生を切り拓くことに貢献できると考えています。

「何をすればいいかわからない」「時間がない」「先が見えない」……でも「妥協したくない」ワーキングマザーはかつての私

世の中に学習塾や留学コンサルタントはたくさんあります。しかし、どこを選び、どう付き合えばよいかはなかなか分かりません。

ワーキングマザーの場合、忙しくて時間が少ない→自分のやっていることのどこかが違っているような気がする→時間がいたずらに経っていく→先が見えない不安を抱えて悩む、という状況に陥りがちです。

さらに、辛いのは、働いていて十分な時間が取れないこと、お金がないこと、疲れて何も考えられなくなり、あきらめて妥協してしまうことです。もし、そこで受験に妥協したくないワーキングマザーがいたなら、かつての私と同じです。

自分の成功体験だけでなく、失敗体験を活用することで、先を見越してムダな時間と労力・お金・ストレスを少しでも軽くしたい

私はワーキングマザーという状況に加えてシングルマザーでもあり、子どもの中学受験の際には認知症となった親の介護も抱え、年齢はすでにオーバーフィフティーでした。それでも子どもの「第一志望校」にこだわり続け、突破していきました。

後悔するのが嫌だったのでできることは何でも試しました。海外留学については、自分の思い込みと焦りで、信じられないほどムダなお金や時間をコンサルタントや学校訪問に費やしてしまいました。

私は、こうしたトライ&エラーを繰り返したからこそ、ワーキングマザーの貴重な時間と労力・お金・ストレスの痛みがわかります。出口が見えない不安に悩むワーキングマザーに、現在だけでなく、将来まで見越したアドバイスやサポートができると考えています。

最後に

うちの息子が選び取った進路で息子が幸せになれるか、そこは少しクールに見ています。

彼は、自分自身が選んで、第一志望校である

  1. 中学校・高校に行った
  2. ボーディングスクールに留学した
  3. アイビーリーグに入学した

という結果を手に入れました。

でももう今は、親がどうこう言える年齢でもありません。今後は自分で生活していきたいと思っているようです。自分が一番行きたいと思った学校で、自分の選んだ勉強をしています。

私の支援パワーはもう彼から剥がれ落ちており、この後はどうなっていくのかわかりませんが、「好きなことをやって生きてほしい」という私の願いは叶っている状況になりました。

今後もぜひ、そうして生きていってほしいと願っています。

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