希学園についてその2.山﨑信之亮先生のこと(2)
こんにちは、ワーキングマザーのための受験留学アドバイザー・喜連川綾乃です。
前回に続き、希学園で中学受験のチューターとしてお世話になった山﨑信之亮先生(現学園長)についてお話ししたいと思います。
今思い返してもこの頃の私は命がけで頑張っていたと思います。恥も遠慮もかなぐり捨てて、希学園の先生方に勉強方法などを相談して奔走していました。
私は山﨑先生は「天才的なチューター」だと思っています。岐路に立った時に大げさかもしれませんが、「芸術的」とも言えるようなアドバイスをいただきました。そうしたアドバイスを記録し、皆さまに紹介したいと思っているのです。
山﨑先生の数々のアドバイス
「ご三家に行ける頭だと思うけど・・・」
小学5年生の夏時点の志望校
前回お話ししたように小学5年生の夏休みの過ごし方を山﨑先生に相談しました。その時に志望校をどうするかについてもご意見を伺ってみました。
「ご三家に行ける頭だとは思うけれど、合うかどうかというと、麻布というのも開成というのも少し違うかも」と言われました。「栄光は向いているし、渋々も向いているでしょう。栄光は特におすすめする。とっても良い学校ですよ。駒東、早稲田あたりはどうですか?早稲田は内部進学だけじゃなく外部進学も有力ですよ」というようなお話でした。
その時点で開成はまったく念頭にありませんでした。私が何となく憧れていたのは、麻布と栄光で、現実的には、渋々くらいかと思っていました。
結局、栄光はワーキングマザーの私には遠距離すぎて通学が支援できず、諦めました。
息子は開成に入ったから開成カラーに染まりましたが、栄光や渋々の方が本人の本来の資質には合っていたかも知れないといまだに思います。
チューター交代劇
山﨑先生にチューター役を直談判したこと
実は、小学6年生になった時点で塾側から指定されたチューターは、山﨑先生ではありませんでした。前の先生も良い方で息子のことをほめてくださるのですが、私は逆に不安になり、「何かが違う」と感じていました。
その時の私の気持ちは何だったのか?
受験生の母としていつも何か不安なり、心配ごとが湧いてきます。その時々に原因分析をして対応をしていくことが必要だと感じていました。
私は気休めが欲しいわけではなかったのです。単にほめてくれる方よりも戦略的なアドバイスをしてくれる伴走役が欲しかったのです。
唐突に山﨑先生にチューターのお願いをしたところ、少し驚かれたようですが、一つ返事で引き受けてくださいました。
「息子には何と伝えればいいでしょうか?前チューターへの気兼ねもありますし」と私が問うと、「新旧のチューターの間に彼を座らせて説明するから平気ですよ」と言ってくれました。
チューター役の山﨑先生は牽引役としてすぐれ、私も悩ましい点を早めに相談するようにすることで、歯車がうまく回転するようになりました。
開成受験を決める
「麻布が70%で開成が50%なら、開成を目指した方がいい」
5月第1回プレ開成模試こそかなりの好成績で合格でしたが、8月の第2回プレ開成模試は、7点差で8位不合格でした。このあたりでもっと焦りを感じてもよいはずなのに、私の気持ちは空回りするばかりで、何もできませんでした。
結局のところ、子供がひとりで頑張っていても、苦手分野の補強まで自分ではできなかったということだったのではないかと思います。トップクラスにこそいたものの、算数と理科は、目標とする公開模試偏差値60には届きませんでした。
9月の終わりになっても志望校がアヤフヤな状態でした。9月のサピックスオープンも麻布、開成と両方を受けました。親の心情は、子供に影響するらしく、この時期、息子は「僕はどこをうけるのかしら?」と山﨑先生に言っていたそうです。
そこで、山﨑先生にご相談しました。
「特に開成にこだわりがあるわけではなく、決めかねています。先生方から見るとどのように見えるのでしょう?」と申し上げると、「僕らから見ると、開成を当然受験する子だと見てますよ。ずっとトップクラスでしょう。筑駒ならともかく、開成くらいなら。それに模試で麻布の合格可能性70%で、開成が50%ということはですね、やっぱり上を目指した方がいいですよ。勉強しなくて70%が取れる学校の生徒に囲まれて過ごすのとは違いがありますよ。無理なら12月になっても志望校を変えられます」
そこで、私にも間成を第一志望にする勇気がわいたのでした。
「だけど限界はありますよ」
苦手科目について
中学受験は全科目受験ですので、苦手科目と向き合うことになります。算数などの苦手科目対策に大わらわの私に対して、山﨑先生は何かの折に「だけど限界はありますよ」と冷静に言われました。
開成合格のための対策は必要ですが、文系よりも理数系が得意な子供に変貌することはなかろう、という意味だと思います。
その後も先生の言葉どおり、息子は文系のままでした。私のスタンスとして中学・高校時代を通じて理数系については高望みもしない代わりに、取りこぼしがないように、基本項目でわからないところを残さないように気を付けました。
何とかそれで(結局受験しませんでしたが)国公立大学受験ができるところまでは行きました。
子供の決意
「僕は開成を受ける!」
小学6年生の10月になっても苦手分野の克服に本人が乗り気でなく、開成受験の本気度があまりないのが気がかりで、山﨑先生に訴えました。
本人に色々と話して下さり、ある日帰ってくるなり「僕は、開成を受ける!」と宣言したのでした。その後、目の色を変えて苦手分野に取り組むということではなかったですが、機嫌よく勉強を続けることができました。
次回に続きます。